福岡県PTA連合会機関誌/令和2年1月号から「現在、過去、未来にありがとう/NO.95」
 今の私は、出会った方たちからいただいたさまざまな言葉でできていると思います。昔は良かった、人情があったと言う人が多いのですが、果たしてそうでしょうか。ずいぶん、ぶしつけで嫌味なことや差別的な発言をする人もいた気がします。その反面、深い言葉で生きるヒントをくださる方も、今より多くいらっしゃいました。

 少し大人になってからですが、知り合いのおじいさん(80歳を過ぎていらしたから)に言われた言葉は、少し考えさせられましたが、いつの間にか大切な言葉の一つに加わりました。

 「ちづえさん、私が育った村では、3年前にもらった大根のしっぽ一つでも、次に会った時にはお礼を言いますよ。それもていねいに。先日いただいた大根、おみそ汁に入れていただきましたら大変おいしくて家族みんなが喜びました」と。
 私はそんなめんどうなところに一日でも住めないなと思って、そのままを言葉にしたと覚えています。

 大人になるにつれ、この言葉に現実味がついて、大切なことを教えていただいたと思うようになりました。

 何かいただいたり、お世話になったり、優しい言葉や励ましの言葉をもらったらすぐに「ありがとうございます」と感謝を言葉で伝えたいです。

 実行されるかは不明の約束。「お土産買ってくるね」「次も楽しいこと誘うね」にも素直に「ありがとう」を言いましょう。約束は果たされず「ありがとうを返せ」と言いたいこともたくさんありましたけれど。

 そしておじいさんが教えてくれた、過去のいろいろも思い出してお礼をいいましょう。「いただいたお菓子はおいしくって家族で取り合いになりました」「良い方を紹介してくださって幸せです」「あの時注意してくれてありがとう」「車で送ってもらったので遅刻しませんでした」とか思い出せば限りなくありますよね。お礼を言いたい思い出がたくさんあるのは幸せな証拠です。

 私も大昔にわが家でご飯をご一緒した方から「あの時はおいしくって幸せでした」と思い出話のついでに言われたりすると、木に駆け登りたくなるくらいにうれしいのです。今おいしいと言われた時より、もっと心が温まる気がするのが不思議です。おじいさんの言葉はやはり深かった。

 現代、過去、未来・・歌の文句ではないけれど「ありがとう」を惜しまないように生きたいと思います。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年11月号から「不思議なホラ話もちゃんと聞けば/NO.94」
 「幾何学がわかれば空間が測れるようになるよ。エントロピーの法則は不可思議さが測れるよ」若い頃知り合ったおじさんはいつもこういう言葉で私を煙に巻いていました。科学的なのか非科学的なのか真実なのか嘘なのか、そういう話ばかり。でもいつも私はワクワクして次の話を待ちました。

 一番好きだったのはアインシュタインが思いっきり舌を出した有名な写真を見ながらの「彼は決してふざけているわけではなくって、宇宙と交信してるんだよ。インカの石像にもこういうのがあるだろ。あれも宇宙との交信!」その後いくら調べてもそれを裏付けるような資料は見つかりませんが・・私はほぼ信じています。

 世間には大勢の聞いたような教訓話が得意な方がいらっしゃいますが、私はその気配を感じるとダッシュで逃げ出してしまいます。

 おじさんの話は誰からも聞いたことのないものばかり。
 わたしにとってスペシャルな話は食欲をなくしそうな内容なので、ナイショにしてましたが今回特別に、です。覚悟してくださいね。

 ある日おじさんはちょっと得意顔で「あのね・・の野ぐそ糞は人の顔を見てするんだよ」私は「そんなこと死んでもしないのでご心配なく」と返しましたが、おじさんは笑いながら「コソコソしてお尻を出すと人からお尻をしっかり見られるよ。こちらが相手の目をしっかり見てたらその人もこちらの目を見るしかないから裸のお尻を見られずに済むのさ」と更に私を混乱させました。

 月日がたち大人になってやっとこの言葉の重みが少しずつですがわかったような気がしています。

 暮らしや仕事の中で格好良い自分を演じるどころか、ぶざまな自分をさらしてしまうことも常です。不本意ながらも自分の意に沿わないことにも逆らえないことだっていっぱいありました。

 そんな時にあのおじさんの言葉「野糞は人の目を見てしろ」を思い出します。「法律を犯すわけでもなく人に迷惑をかけるようなことでもないのに人より劣って見えたり、みすぼらしく自分を感じたりする時でも堂々としていなさい。オドオドと人の視線を避けるようなことをすると返って見られてしまうよ」。きっとおじさんはそう言ってくれたのだと。決して自分の得意な分野の仕事ばかりをしてきたわけではありませんが、この言葉から支えられて今までやれてこれたような気がしています。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年9月号から「あなたにできる親切はありませんか/NO.93」
 『なにか、わたしにできることは?』(ホセ・カンバナーリ・文、ヘスース・シスネロス・絵、寺田屋真理子訳)

 書棚から何気なく取り出したのがこの絵本でした。ずいぶん前から持っているのに開いたことのない本がたくさんあるのです。老後の楽しみに取ってありますって、もう72歳なのに・・

 あらすじは独り暮らしのおじいさんの心の中に「なにか、わたしにできることは?」という言葉が棲み着き、その言葉がいつも頭の中をくるくると回ります。

 あるときに同じアパートに住むおばあさんが「脚が痛くて階段が降りられないの。パンを買ってきて下さらない?」と。次の日は子どもが熱をだして困っているおかあさんが助けを求めます。

 すると、心の中に棲み着いた言葉が飛び出してきました「なにか、わたしにできることは?」。おじいさんはその言葉に従って行動します。

 それだけのお話ですが、私たちの心の中にもこの言葉は棲んでいますよね。テレビやラジオから風水害や地震の被害のニュースが流れる時。お友達や知り合いに悲しいことが起こった時「なにか、わたしにできることは?」。

 とは言っても、すぐに飛んで行って手伝いができるわけでもなく、お金を送ることだって難しいです。

 「なにか、わたしにできることは?」って本気で思っているのにいつもそれだけで終わってしまいます。

 このおじいさんのように身近に助けを求めている人がいれば自分の心に素直に従えればいいのですが・・

 そのかわりになるかわかりませんけれど私は料理研究家なので、季節ごとの果物でジャムを作ります。今ならイチジクでしょうか。

 イチジク1キロの皮を剥いたらザクザクと切って鍋に入れ、30%か40%(300g〜400g)の砂糖をまぶして少し置いて、水分が滲み出たら中火にかけ、透明になるまで煮ます。そこへ一個分のレモンの絞り汁を入れて出来上がり。熱湯で消毒した瓶に詰めておきます。

 少し元気のないお友だち、ご無沙汰をしてしまっている方、なんだか少し気になる人・・心の向くままに手渡します。「とても落ち込んでいたけれど元気になった」なんてうれしい言葉が返ってきて、こちらの気持ちもハッピーになるのです。

 どんな形ででも小さな親切や思いやりが表現できると、自分が困った時に他人の親切を素直に受け取ることができるようになるのが不思議なのです。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年7月号から「水で作る不思議スープ/NO.92」
 気温や湿度が急に上がる季節になると毎年暑さ対策のスープを作ります。昨年まではベーコンやたくさんの野菜をコンソメで煮込んだミネストローネを作っていましたが3日も食べ続けると飽きて見るのも嫌になるのです。

 そこで今年はたっぷりの野菜を水で煮込むポタージュをつくってみました。
 やはり私は天才(嘘です)。これが驚くほどおいしいのです。十日間毎日飲み続けていますが、ちっとも飽きません。これは大切な読者である皆さまにお伝えしない訳にはいきませんね。

 作り方はとてもシンプルです。準備する野菜はニンニク2粒、後はタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、トマト全て1つずつ、赤いパプリカがあれば加えても美味です。皮をむき一口大に切っておきます。ジャガイモだけは切った後、さっと水にくぐらせデンプンを洗い落としましょう。

 厚手のお鍋にオリーブ油(好みの油で)を大さじ1入れて野菜を全て加えて弱火でゆっくり炒めます。私はその後フタをしてごく弱い火で10分ほど蒸し煮にして野菜に汗をかかせます。甘くなるようにとのおまじないなのですが省略してもOKです。野菜がほぼ隠れるほどの水を注いでフタをし、一時間ほどコトコトと煮込みます。途中で塩を小さじ1とこしょう少しを加えて下さい。野菜がしっかり柔らかくなったことを確認して火を止め、鍋ごと水に浸けて粗熱をとります。後はミキサーにかけてクリーミーに仕上げます。とても美しいオレンジ色のスープのでき上がり。味を見て塩コショウで味を調えましょう。

 このスープの難点はただ一つミキサーが必要なことです。ミキサーを持っている人と一時的に友だちになるとか・・なにか知恵を絞って下さい。味が好みでしたらミキサーを奮発しても損はありません。夏バテをせずに夏を乗り切れるのですから。冷蔵庫で3日は保存もできます。

 熱々にパンを浸しながらいただくのが私は好き。冷たくいただく時はオリーブ油をちょっとだけたらすと良い香りです。牛乳や豆乳で伸ばしたりバターを落としたりと味の変化も楽しめます。タマネギやニンジンを増やしたり酸味が嫌いならトマトを外します。カボチャやカブを加えてもgood。

 アクの強いお野菜は合いませんし、緑の野菜が加わると不気味色に仕上がりますよ。

 お気づきの通りコンソメなどは一切使わず、野菜と水と塩とオリーブ油だけのシンプルなスープですが、なぜかとても深い味わいなのです。今年の夏はこの不思議なスープの力で皆様元気にお過ごし下さい。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年5月号から「水洗の音が怖いのです/NO.91」
 私は昭和22年の生まれです。けっこうお婆さんでしょ。小学校に入学する少し前の記憶です。家の前の道路で遊んでいました。それほど田舎でもないのに車と馬車が時々通る程度の、のどかさです。西洋人の親子らしい二人連れが近づいて来ました。私の下駄に興味を持ったようで身振り手振りで履かせとせがんでいます。その頃の写真を見ると、私はおかっぱ頭に花柄の着物と同じガラの綿入れチャンチャンコに赤いネルの足袋まるでお人形さんのよう。(妄想)

 私が産まれた敗戦後はGHQつまりアメリカの進駐軍が駐屯していました。北九州の小倉の我家の周辺のお屋敷はアメリカ人将校の住まいとして接収されていて、外国の人の姿を目にするのはしょっちゅうでした。(日本が連合軍に占領されていた期間は1945年〜1952年)

 気がつくと私は広い芝生のお屋敷の中にいました。わが家とは全く違っていて、テーブル、椅子、美しい額縁に入った絵。とりわけ不思議だったのがトイレ。ピカピカの白い物体、ドキドキしながら何とかよじ登って用を足しました。

 その後、私の小さな心臓が止まりそうな経験をします。言われた通りぶら下がっているひもを引っ張ったとたん、ゴォーっと凄まじい音とともに大量の水!理解しにくいかもしれませんね。皆さんのほとんどは産まれた時にはすでに水洗トイレだったのですから。しかしその頃の日本人は西洋式のトイレなんて見たこともなかったのです。私は水と一緒に暗い世界に流されるような気がして生きた心地がしません。そのまま逃げ出して家の玄関に飛び込みました。

 ホッとして固く握りしめていた小さなお手手(自分で言うか)を開くと白い美しい石。食べたかどうかの記憶がないのですが今思うと、あの楕円形のツルツルした石はきっと「ドラジェ」。結婚式などのお祝いで頂くアーモンドに砂糖の白い結晶で包んだ美しいお菓子です。

 あれから70年近くも経っているのに、トイレの水洗の音であのときのことを思い出しドキッとすることがあります。最近では一度の用足しでこんなに水を使っても良いのかしらと環境に対しての思いも頭をよぎります。

 今回はアルバムの整理をしていて幼い自分の姿から甦った話でした。今ではちっとも不愉快な出来事ではなくなっていますが、今の子ども達はどんな驚きを大人になって思い出すのでしょうか。

福岡県PTA連合会機関誌/平成31年3月号から「中国に行って来ました/NO.90」
 今年のお正月も中国で過ごしました。青島まで飛行機、そこから新幹線に乗り換えて2時間で山東省の_博(しはく)です。_博は春秋戦国時代に繁栄した斉の国の首都があったところで、陶磁器と絹織物の里でもあります。経済発展が目覚ましい中国、素晴らしく近代的な高級ホテルに泊まりました。・・と言いたいのですが、そこは貧乏性の私、ローカルの朝食付き一泊、3000円程度のホテルを選びました。

 ところが次の日の早朝に廊下で大きな破裂音! 飛び起きてドアを開けると数人の男性が隣の部屋のドアを大声で怒鳴りながら激しくノックしています。

 ドキドキしながら目を凝らすと一人の男性が晴れ着を着て花束を持っています??・・。友人の説明によると結婚式の日の儀式なのだそうです。花婿がドアの隙間からお金を差し込み、「金額が足りないから出て行けない」「ではもう帰るぞ」等々のやり取りの後、無事にドアが開き美しい花嫁さんが現れました。私は大急ぎで自分の部屋に戻りお土産に準備していた化粧品の色々を小さな袋に入れて花嫁さんに手渡しました。こぼれるような花の笑顔。星付きの高級ホテルだったら廊下で爆竹なんて有り得ない事でした。今年も始まりからラッキーです。

 今回の旅も同行した中国の友人の知り合いとの宴会の日々でした。「遠くから友人が・・では一緒に楽しもう」そんな雰囲気なのでこちらも遠慮しません。楽しい思いをするチャンスがあるなら逃さず楽しもう!この考え方が好きです。

 初対面どうしでも会話が途切れません。延々と会話が続くのは中国の方の話好きのたまもの。「美しい奥様とハンサムなご主人の末永い健康を願って乾杯」食事の合間にさまざまな理由を見つけては盃をあわせます。

 私は言いました。「日本にいらしたら負けないくらいのおもてなしをしますが、美しい奥様とかハンサムな・・なんて恥ずかしくて私には言えないと思うからごめんなさい」相手の方は何食わぬ顔で「習慣的に言っているだけなのでどうぞ気になさらないでください」席に笑い声が満ちました。その時にテーブルの上にあったのは果物のドリアンのチーズ焼き。この時の笑いとこの料理の濃厚なおいしさはずっと忘れることはないでしょう。

 食べ物だけでなく風習や表現の違いを知ることがこんなに楽しいなんて。子ども達が大人になるころはもっとさまざまな国との交流が深まるでしょう。そうなることを願いながら今年の仕事の一歩を踏み出しました。