福岡県PTA連合会機関誌/平成29年7月号から「不器用も長所/NO.80」
 少し格好を付けて「不器用・・」としましたが本当は「どんくさい」漢字で書けば「鈍臭い」がテーマです。

 ウェブの類語辞典で見ると、ダサい、間が抜けている、手際が悪い、気が利かない、イケてなく見栄えが悪いと散々な言葉です。

 私のことですかって、そ!あなたのこと(笑)、そして筆者自身のことでもあり、あなたの子どもさんのことかも知れませんね。

 キチンと支度して出したつもりが保育園に迎えに行くとシャツは、はみ出し靴下はかかとまで脱げている。先生が「あつまれー」と声をかければわが子だけ反対方向に走っている・・なぜなぜ? 

 慌てて参観に駆けつければ他のお母さんはブローしたツヤツヤヘアに完璧な化粧・・。なぜなぜそんな余裕があるのだろう?自分はギリギリいつもパサパサ髪の疲れ顔。集まりに行けば「昨日でしたよ」と笑われて、誰からも教えてもらえない自分の人付き合いの悪さを呪う。

 これは想像ではなく私の体験でもあるので、サンプルはいくらでも書けます。
 私のドン臭さは本物で(決して自慢してる訳ではありませんが)、今だに飛行機に乗ってもシートベルトの脱着に迷い、高級なブティックやレストランではビクビクし、今風な美容院に靴を脱いで入ったら「靴は履いたままで」と言われ赤面し・・・。

 もうすぐ70歳になろうとするのにこの体たらくです。そうは見えないと思っていただけているとしたら、多少開き直りができてきたせいかも知れませんね。

 それなのになぜ「不器用も長所」と言えるのかですよね。

 鈍臭いのであまりおしゃれ洒落な人たちのグループに誘われませんでした。だからその方々の持っているブランドのバックも不必要でしたし、高いランチ代の支出も考えずにすみました。友達も少なかったので読書する時間も取れました。いろんなトラブルも遠くで「ふーん」って感じで関わらずにすみました。寂しくなかったかって?もちろん多少は!でもね!多勢に関わっていたらきっともっと寂しい思いをするのが鈍臭い人間なのですよ。

 自分は自分と思って仕事をしてきました。鈍臭いから人の数倍時間がかかりましたが、鈍臭いから(しつこいね)嫉妬もされず、従って足も引っ張られずで、なんとか自分の仕事が全うできそうな歳になりました。

 いかがですか自分の不器用さが長所に思えてきませんか。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年5月号から「私だけの言葉/NO.79」
 小学校5、6年生のころ、同じクラスの女子小柳さんがこちらを見ながら「あんたの眉ね・・今は気に入らんかもしれんけど大人になったら格好良いよ」と。その頃の私はまだ幼稚で自分の容姿をそれほど気にはしていませんでしたが・・・。

 今思うと私の眉はとても薄くって急なカーブ。まるで中国劇の女形のようです。顔はまん丸、目は細くもちろん鼻も低い。その子はやむにやまれぬ気持ちで元気づけてくれたのだと思います。私ときたらそれを拡大解釈して「大人になったら奇麗になるよ」と理解してしまい、時にふれ記憶の中から取り出してはニンマリしていたのです。

 偉人の名言や格言を使って元気づけたり、諭して下さった方は大勢いましたが、数分後には何を聞いたかさえも忘れてしまいます。他人が聞くと意味不明でも自分にだけ向けられた特別な言葉は一生の宝物になりました。

「大人になったら格好良いよ」60年も前の一言ですが今でも思い出すと心が温かくなります。

 中学の卒業式の日に家事ババア(本当に申し訳ありません)と呼んで、ちょっと怖がっていた家庭科の鍛治先生とすれ違いました。

彼女は眼鏡越しに私をちらりと見て「何かやれる子だと思ってたんだけどねぇ」とおっしゃいました。その頃の私は無気力、虚弱・・口だけ達者と言う最低の女生徒でした。その私に・・「なにか出来る子?」うれしすぎます。

 私が職業婦人(言い方が古い)となり、曲がりなりにも今まで続けられているのはこの言葉のお陰かも知れません。鍛治先生は私がテレビにでるようになり、講演会場やわが家での料理教室に顔を出して下さいました。後ろの席でこっそりのつもりのようでしたが私にはそこだけ光が射しているように感じられました。先生ありがとうございました。小柳さんありがとうございました。

 いつも思っているのではないのですがなにかの折にふっと心に浮かんでその時々の自分を支えてくれる言葉があることは幸せです。

 誰にでもではなく私だけに向けてのパーソナルな言葉。心からの一言をどなたかににプレゼントすることが、彼女たちへの私の唯一の恩返しかなーと思っています。そのお二人はもうこの世にはいらっしゃいません。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年3月号から「食事の基本的マナー/NO.78」
 何度か書いた内容かも知れませんが、(年を取ってしつこさが増しているような気がします。)大切なことってあまりにも当たり前すぎてつい忘れがち。そしてしないことが習慣になってしまうのです。

 まず食事の前の手洗い。しなかったからおなかが痛くなったなんてことはまず無いと思いますが、基本中の基本です。食中毒だけではなく、風邪やインフルエンザなどの感染症の多くは、“手”を介して感染します。衛生面だけでなく手がキレイだと気持ち良く食事できますよね。赤ちゃんもお乳の前におしめを替えたり手を拭いて上げたりすると気持ち良さそうですもの。

 次は「いただきます」「ごちそうさま」言っていますか。高学年になると照れて言わなくなったりしますよね。食事に感謝してなど精神論的なことはあえて言いませんが(言ってる?)ケジメをつけるのが大切なんです。ケジメを!
「いただきます」の声を聞いて、身体が食べ物を受け入れる準備をするのだそうです。音が内臓を刺激して消化液の分泌を促すなんてなんだかオカルトチックに思えますが、もともと生命は不思議がいっぱいなのですから。とにかく「いただきます」「ごちそうさま」は美しい言葉です。

 さて今回いちばん言いたかったのが配膳のこと。最近は大皿に盛りつけて各自取り分けていただく家庭も多いようですが、たまにはきちんと一人づつ盛り分けて配膳してみましょう。さあご飯はどこに置きましょう。お味噌汁はどこに?もちろんご存知ですよね。

 ご飯は向かって左に、お汁はその右側、お汁の向こう上に主菜、ご飯の向こう上に副菜を置きます。汁物は毎回は作らないとは思いますが、育ち盛りの子どもさんには栄養豊かな具沢山の汁物がお勧めです。主菜は肉や魚や卵などたんぱく質の食材で作ります。トンカツやハンバーグや魚の煮付けなどですね。副菜は野菜料理です。南瓜の煮物やホウレンソウのお浸しや野菜炒めなどです。

 肉や魚で作る主菜と野菜中心で作る副菜、主菜と副菜を必ず作る。これさえ守れば栄養バランスはちゃんと整います。難しくないでしょ。真理はいつもシンプルなのです。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年1月号から「サービス精神/NO.77」
 母と父の仲が冷え切っていたので、年中冷房が効き過ぎているように食事のときもシーンと静かな家庭で育ちました。

 暗い性格に育ったかですって・・いいえ、家でおとなしくしている分、学校ではおどけて人を笑わせるのに勉強よりずっと力を入れてました。(笑)

 今でも人に嫌われたくない気持ちがむやみに強いのは家庭環境のせいかと思います。料理研究家になったのもメディアの仕事を40年間も続けられているのはこの性格のおかげに違いないです。ただ困るのはどこに行っても笑いを取りたいこと。お悔やみの席でもムズムズするので気をつけてはいますが・・。

 先日、お茶会で日本庭園に居ると30人ほどの韓国の観光客の方が入ってこられました。案内の人が私を見て「テレビに出てる人よ」と。結果、私を真ん中に何人かずつに分かれて記念写真を撮ることになりました。最後にその中のお一人がたどたどしく「アリガトウ、キレイデス」と。「よく言われます」と反射的に返すと皆さん大笑い。言葉は分からずともニュアンスが伝わったのでしょう。笑いが取れて私は大満足。

 昔、10人程度のツアーでカリフォルニアを訪ねました。催しの後アメリカのメンバーとイタリアンレストランで昼食会でしたがあいにくまとまって座れる席がありません。気がつくと10人のアメリカ人の中に英語が全く喋れない私が一人残されました。

 盛り上がらない雰囲気の中で居心地が悪いことこの上無し・・・。小太りのサービスの男性がお皿を置いて立ち去った後、イタリアの有名スターを思い出して「マストロヤンニみたい」と言ってみました。はじけるように大笑い。私は突然人気者になりました。

 笑いを外してその場を凍り付かせることも、うっとうしがられることも始終ですが、このサービス精神だけは失いたくないと思っています。

 どの親も完璧な家庭環境を与えられる訳ではありませんがその中で子ども達はそれなりの力と個性を身に付けていくのだと思います。

 いつも笑わせてもらうだけの人、いつもご飯を作ってもらうだけの人にならなかったことだけで私の育ち方はあれで良かったのだと思えるこのごろなのです。

福岡県PTA連合会機関誌/平成28年11月号から「お正月料理どうしましょう/NO.76」
 最近のお正月は年々「めでたさ」が薄まって来ている気がしますが、今年の無事を感謝し悩みや失敗をリセットして来年こそはと心を新たにするお正月。やはり一番大切にしたい行事です。そこでお正月料理どうしていますか。「いつも通りで特別なことはしません」「出来合いのお節を買う」「里帰りする」「きちんと作ります」あなたはどのタイプですか。

 子どもの頃、お正月の楽しみはやはり食べ物でした。母がクリスマスを過ぎた頃から煮豆を炊き始めたり数の子を戻したり、早々と準備を始めていたことを思い出します。NHKの紅白歌合戦が始まっても台所から煮物の香りが漂っていました。美しく煮上がったお煮しめや黒豆、紅白なます、田作り、せっかくのごちそうなのに子どもの頃の私にとってはそれほど魅力的ではなかったのです。

 話が横道にそれますが、私が楽しみに待っていたのがお正月以外には決して目にすることのなかったカニ缶とアスパラガスの缶詰。小さなお皿にこんもりと盛られて少しマヨネーズが添えられていて。お正月が待ち遠しくってたまりませんでした。皆さんの家でこの日にしか食べない物ってありますか。一年中なんでもいただける時代ですが、誕生日にはコレとか運動会の日はコレとか、その日だけの食べ物や料理で「子どもたちのワクワク」を一つ作って上げませんか。

 お正月の話に戻しましょう。出来合いのお節も、もちろん良いのですが、煮物と酢の物だけでも手作りすると幸せな新しい年を迎える気分が盛り上がること間違いなしです。では・・失敗しないガメ煮の作り方です。

(材料)鶏モモ肉250g・干シイタケ4枚・ゴボウ70g・コンニャク100g・サトイモ500g・ニンジン100g・レンコン150g・インゲン5g・サラダ油大さじ1
(煮汁)カツオだし2カップ・みりん1/4カップ・しょうゆ1/4カップ・砂糖大さじ1
〈作り方〉1シイタケを戻す。コンニャクは一口に切りゆでておく・2煮汁の材料をよく混ぜておく。3シイタケは一口大に切り野菜は皮をむき食べやすく乱切りにしておく。4鍋に油をいれて火にかけシイタケ、一口に切った鶏肉、ゴボウ、サトイモ、ニンジン、コンニャクを油に絡めるように炒め、煮汁を加えてフタをして5分ほど炊き、フタを開けてサトイモが柔らかくなるまで煮る。器に盛ってゆでたインゲンを散らして出来上がり。今夜当たり練習してみてはいかがですか。

福岡県PTA連合会機関誌/平成28年9月号から「ファンタジー足りてますか/NO.75」
 「ファンタジー足りてますか」なんて「?」でしょ。「ビタミンやミネラル足りてますか」なら分かるけれど山際もとうとう・・なんて思われたかもしれませんね。ファンタジーの定義は難しいです。超自然的、幻想的、空想的と訳されます。神話やおとぎ話の中に多く存在して魔法や錬金術、自然科学を超えたお話などと説明されます。私にとっては空想の世界に導いてくれる全ての物がファンタジーなのです。書棚を見ると「ハリーポッター」「ゲド戦記」「ネバーエンディングストーリー」「モモ」「日本昔話」「ムーミン」「古事記」・・・SFやヒーローもの、古代史も私にはファンタジーの分野です。

 晩年の父が入院中に「退屈でしょ」と声をかけると「今日は桃太郎侍で明日は鞍馬天狗になるから大丈夫」と言って私を驚かせました。私の活字好きと空想癖は父からのプレゼントでした。彼にとっては娯楽時代小説もファンタジーだったのです。

 ファンタジーは特定の思想を伝えるためのもの、思想や宗教観を植え付けるものと危険視する見方もあるようですが・・果たしてそうでしょうか。文学には当然作者の思想や考え方が織り込まれています。子ども達が素直に物語を楽しみ、大きくなってその意味に気づくことはありえることです・・。仕事に育児、家事に追い立てられて、それを誰からも評価されず、いつも息を切らして生活していたころの救いは夫・・では決してなくて(笑)私の中にあるファンタジーでした。布団に入り寝付く前の一瞬でもお姫様や大富豪になれる。がんじがらめの現実生活の中でもポーンと一飛びに宇宙の中に飛び出す感覚。子どもの頃に(今でも)ファンタジーのシャワーをたっぷり浴びたおかげだったと信じたいです。説明はしにくいのですがファンタジーが心を強くしてくれたと思います。ファンタジーから得た想像力が無ければ、今よりもっと損得だけで物事を考えたり、他人の気持を察せず思いやりに欠ける発言や行動を取ったりする人間になっていたような気がします。

 子どもたちにはテレビやゲームばかりでなく文字を自分の頭の中でビジュアル化させる力を養って欲しいと強く思いますが、ファンタジーはその良い訓練にもなります。家族と一緒の食事と少しのファンタジーがあれば、決して良いことばかりでは無い人生をなんとか乗り越えて行ける力が備わると思うのです。