福岡県PTA連合会機関誌/平成28年11月号から「台所は危険がいっぱい/NO.82」
 小麦粉の袋裏側の注意書き読まれた事ありますか?説明書読むのは字も小さくてめんどうですよね。私が代わりに読みましょう。

「ご注意 油で揚げるお菓子などを作る場合は、生地(きじ)が破裂して油が飛び散り火傷をする危険性があります」

 何だか恐いですね。続いて・・「ドーナツなど水で練った生地の場合は粉100gにベーキングパウダー3gと砂糖10g以上の両方とも必ず入れて下さい」

「知らなかったわー」と言う声があちこちから聞こえそうです。

 実は私若い頃に(はい・・ずいぶん大昔)大失敗した事があるのです。イタリアの大女優さんの書かれた料理書の中にとても簡単な揚げ菓子を見つけました。材料も粉と塩、お水だけでシンプルです。早速生地をこねて油に入れました。油の温度が上がってくるとパチンとかなり大きな破裂音がして次にまたパチン。私は恐くなって慌てて火を消し台所を出てドアを閉めました。

 バチバチバチ・・隣の部屋で銃撃戦が繰り広げられているような騒がしさ。やっと音が静まったので、そーっとドアを開けました。

 そのときの光景を今でも思い出します。ガス台のうえは油だらけ。薄茶色になった生地は壁という壁に張り付いています。掃除は大変でしたが、逃げて正解でした。そのままなんとかしようと鍋の前にとどまっていたらと思うとぞっとします。皆さんにはこういう経験がない事を祈ります。

 温度が上がると生地の中に入っている空気が膨張し破裂するのです。砂糖やベーキングパウダーを加えて空気の逃げ道を作るとこういうことは決して起こりません。

 「スペインふうの揚げ菓子などお湯でこねた生地の場合は星形の口金を付けて表面をあらくして下さい」と書かれています。昔の私は料理書のここを見落としていたのです。

 ドーナツを作るのが恐くなりましたか。でも家では絶対に揚げ物は作らないぞとは思わないでいただきたいです。揚げ物こそ家で作ってほしいです。揚げたてのおいしさは格別ですし、油も酸化してなくて子どもの健康のためにも良いのです。きちんと基本を知って作れば安全です。台所には刃物や水や火があって慎重に行動する場所であることを子どものうちから知らせておきたいものです。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年9月号から「気が利かない/NO.81」
 イベント会場に到着しスタッフと車を降りると3人の若い男性がお出迎え。彼らは笑顔で挨拶をし、スマートに私たちを先導します。気分が良かったでしょうですって?いいえ!
私たちは腕が抜けそうな大荷物を持っていたのです。何も知らない人がその姿を見たら「おぼっちゃま」にかしずくばあ婆や。「荷物手伝っていただけますか」と頼めばよかったのですが。でもねっ!何と申しますかそう言う雰囲気ではないのです。彼らからは少しの悪気も感じないのでなおさらです。

 料理教室の途中でひどくせ咳き込みました。(順調に年を取っているので最近度々です)私を取り囲んでいた優しい生徒さんたちは心配顔で見守っています。「心配してくれなくって良いからそこのコップにそこの蛇口から水を注いで渡して」と心の中で叫びました。どうしてこうも気が利かない人が多いのでしょうね。こういう経験は一度や二度三度四度五度・・・きりがありません。

 「思いやりがない」「人の痛みが分からない」「想像力に欠ける」そういう言葉ではなんだか表現できない気がします。生物としての心と身体の反射能力が低下している・・そのような感じでしょうか。

 細い通路で人とすれ違う時には反射的に身体を少しどちらかに寄せますよね・・それがそのまま堂々と真ん中を突き進んで来られて慌てて壁に張り付いた経験はありませんか。

 なにかを捜すようにきょろきょろしている人を見かけたら「何かお困りですか」と声をかけますよね。お年寄りがおぼつかない足取りでエレベーターに乗り込んで来たら「どうぞごゆっくり」との気持ちで「開」のボタンを自然に押しているでしょ。

 考えてからというのではなく、とっさに身体が反応し行動している。ちょうどテーブルの上の卵がコロコロと転がって落ちそうになると反射的に手で受け取りますよね。ボールが飛んでくれば瞬時によけますね。 人が困っているところに出会ったら同じようにさっと反応するってそんなに難しいことなのでしょうか。

 知人の話ですが、ある日道路で何かにつまずいて転び、やっとの思いで立ち上がると若い人が笑いながら携帯で写真を撮っていたのだそうです。「痛いと思うよりそれが何だか恐くって」と彼女。

 話がだんだんと重くなってしまいましたが、なにかに遭遇した時に心と身体の反射神経が正しく作動する人間に育つ方法をどなたかご存知ありませんか。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年7月号から「不器用も長所/NO.80」
 少し格好を付けて「不器用・・」としましたが本当は「どんくさい」漢字で書けば「鈍臭い」がテーマです。

 ウェブの類語辞典で見ると、ダサい、間が抜けている、手際が悪い、気が利かない、イケてなく見栄えが悪いと散々な言葉です。

 私のことですかって、そ!あなたのこと(笑)、そして筆者自身のことでもあり、あなたの子どもさんのことかも知れませんね。

 キチンと支度して出したつもりが保育園に迎えに行くとシャツは、はみ出し靴下はかかとまで脱げている。先生が「あつまれー」と声をかければわが子だけ反対方向に走っている・・なぜなぜ? 

 慌てて参観に駆けつければ他のお母さんはブローしたツヤツヤヘアに完璧な化粧・・。なぜなぜそんな余裕があるのだろう?自分はギリギリいつもパサパサ髪の疲れ顔。集まりに行けば「昨日でしたよ」と笑われて、誰からも教えてもらえない自分の人付き合いの悪さを呪う。

 これは想像ではなく私の体験でもあるので、サンプルはいくらでも書けます。
 私のドン臭さは本物で(決して自慢してる訳ではありませんが)、今だに飛行機に乗ってもシートベルトの脱着に迷い、高級なブティックやレストランではビクビクし、今風な美容院に靴を脱いで入ったら「靴は履いたままで」と言われ赤面し・・・。

 もうすぐ70歳になろうとするのにこの体たらくです。そうは見えないと思っていただけているとしたら、多少開き直りができてきたせいかも知れませんね。

 それなのになぜ「不器用も長所」と言えるのかですよね。

 鈍臭いのであまりおしゃれ洒落な人たちのグループに誘われませんでした。だからその方々の持っているブランドのバックも不必要でしたし、高いランチ代の支出も考えずにすみました。友達も少なかったので読書する時間も取れました。いろんなトラブルも遠くで「ふーん」って感じで関わらずにすみました。寂しくなかったかって?もちろん多少は!でもね!多勢に関わっていたらきっともっと寂しい思いをするのが鈍臭い人間なのですよ。

 自分は自分と思って仕事をしてきました。鈍臭いから人の数倍時間がかかりましたが、鈍臭いから(しつこいね)嫉妬もされず、従って足も引っ張られずで、なんとか自分の仕事が全うできそうな歳になりました。

 いかがですか自分の不器用さが長所に思えてきませんか。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年5月号から「私だけの言葉/NO.79」
 小学校5、6年生のころ、同じクラスの女子小柳さんがこちらを見ながら「あんたの眉ね・・今は気に入らんかもしれんけど大人になったら格好良いよ」と。その頃の私はまだ幼稚で自分の容姿をそれほど気にはしていませんでしたが・・・。

 今思うと私の眉はとても薄くって急なカーブ。まるで中国劇の女形のようです。顔はまん丸、目は細くもちろん鼻も低い。その子はやむにやまれぬ気持ちで元気づけてくれたのだと思います。私ときたらそれを拡大解釈して「大人になったら奇麗になるよ」と理解してしまい、時にふれ記憶の中から取り出してはニンマリしていたのです。

 偉人の名言や格言を使って元気づけたり、諭して下さった方は大勢いましたが、数分後には何を聞いたかさえも忘れてしまいます。他人が聞くと意味不明でも自分にだけ向けられた特別な言葉は一生の宝物になりました。

「大人になったら格好良いよ」60年も前の一言ですが今でも思い出すと心が温かくなります。

 中学の卒業式の日に家事ババア(本当に申し訳ありません)と呼んで、ちょっと怖がっていた家庭科の鍛治先生とすれ違いました。

彼女は眼鏡越しに私をちらりと見て「何かやれる子だと思ってたんだけどねぇ」とおっしゃいました。その頃の私は無気力、虚弱・・口だけ達者と言う最低の女生徒でした。その私に・・「なにか出来る子?」うれしすぎます。

 私が職業婦人(言い方が古い)となり、曲がりなりにも今まで続けられているのはこの言葉のお陰かも知れません。鍛治先生は私がテレビにでるようになり、講演会場やわが家での料理教室に顔を出して下さいました。後ろの席でこっそりのつもりのようでしたが私にはそこだけ光が射しているように感じられました。先生ありがとうございました。小柳さんありがとうございました。

 いつも思っているのではないのですがなにかの折にふっと心に浮かんでその時々の自分を支えてくれる言葉があることは幸せです。

 誰にでもではなく私だけに向けてのパーソナルな言葉。心からの一言をどなたかににプレゼントすることが、彼女たちへの私の唯一の恩返しかなーと思っています。そのお二人はもうこの世にはいらっしゃいません。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年3月号から「食事の基本的マナー/NO.78」
 何度か書いた内容かも知れませんが、(年を取ってしつこさが増しているような気がします。)大切なことってあまりにも当たり前すぎてつい忘れがち。そしてしないことが習慣になってしまうのです。

 まず食事の前の手洗い。しなかったからおなかが痛くなったなんてことはまず無いと思いますが、基本中の基本です。食中毒だけではなく、風邪やインフルエンザなどの感染症の多くは、“手”を介して感染します。衛生面だけでなく手がキレイだと気持ち良く食事できますよね。赤ちゃんもお乳の前におしめを替えたり手を拭いて上げたりすると気持ち良さそうですもの。

 次は「いただきます」「ごちそうさま」言っていますか。高学年になると照れて言わなくなったりしますよね。食事に感謝してなど精神論的なことはあえて言いませんが(言ってる?)ケジメをつけるのが大切なんです。ケジメを!
「いただきます」の声を聞いて、身体が食べ物を受け入れる準備をするのだそうです。音が内臓を刺激して消化液の分泌を促すなんてなんだかオカルトチックに思えますが、もともと生命は不思議がいっぱいなのですから。とにかく「いただきます」「ごちそうさま」は美しい言葉です。

 さて今回いちばん言いたかったのが配膳のこと。最近は大皿に盛りつけて各自取り分けていただく家庭も多いようですが、たまにはきちんと一人づつ盛り分けて配膳してみましょう。さあご飯はどこに置きましょう。お味噌汁はどこに?もちろんご存知ですよね。

 ご飯は向かって左に、お汁はその右側、お汁の向こう上に主菜、ご飯の向こう上に副菜を置きます。汁物は毎回は作らないとは思いますが、育ち盛りの子どもさんには栄養豊かな具沢山の汁物がお勧めです。主菜は肉や魚や卵などたんぱく質の食材で作ります。トンカツやハンバーグや魚の煮付けなどですね。副菜は野菜料理です。南瓜の煮物やホウレンソウのお浸しや野菜炒めなどです。

 肉や魚で作る主菜と野菜中心で作る副菜、主菜と副菜を必ず作る。これさえ守れば栄養バランスはちゃんと整います。難しくないでしょ。真理はいつもシンプルなのです。

福岡県PTA連合会機関誌/平成29年1月号から「サービス精神/NO.77」
 母と父の仲が冷え切っていたので、年中冷房が効き過ぎているように食事のときもシーンと静かな家庭で育ちました。

 暗い性格に育ったかですって・・いいえ、家でおとなしくしている分、学校ではおどけて人を笑わせるのに勉強よりずっと力を入れてました。(笑)

 今でも人に嫌われたくない気持ちがむやみに強いのは家庭環境のせいかと思います。料理研究家になったのもメディアの仕事を40年間も続けられているのはこの性格のおかげに違いないです。ただ困るのはどこに行っても笑いを取りたいこと。お悔やみの席でもムズムズするので気をつけてはいますが・・。

 先日、お茶会で日本庭園に居ると30人ほどの韓国の観光客の方が入ってこられました。案内の人が私を見て「テレビに出てる人よ」と。結果、私を真ん中に何人かずつに分かれて記念写真を撮ることになりました。最後にその中のお一人がたどたどしく「アリガトウ、キレイデス」と。「よく言われます」と反射的に返すと皆さん大笑い。言葉は分からずともニュアンスが伝わったのでしょう。笑いが取れて私は大満足。

 昔、10人程度のツアーでカリフォルニアを訪ねました。催しの後アメリカのメンバーとイタリアンレストランで昼食会でしたがあいにくまとまって座れる席がありません。気がつくと10人のアメリカ人の中に英語が全く喋れない私が一人残されました。

 盛り上がらない雰囲気の中で居心地が悪いことこの上無し・・・。小太りのサービスの男性がお皿を置いて立ち去った後、イタリアの有名スターを思い出して「マストロヤンニみたい」と言ってみました。はじけるように大笑い。私は突然人気者になりました。

 笑いを外してその場を凍り付かせることも、うっとうしがられることも始終ですが、このサービス精神だけは失いたくないと思っています。

 どの親も完璧な家庭環境を与えられる訳ではありませんがその中で子ども達はそれなりの力と個性を身に付けていくのだと思います。

 いつも笑わせてもらうだけの人、いつもご飯を作ってもらうだけの人にならなかったことだけで私の育ち方はあれで良かったのだと思えるこのごろなのです。