福岡県PTA連合会機関誌/令和2年7月号から「心に科学を/NO.98」
 「お母さんのおにぎりを食べた子どもは、決してグレたりはしません」

 ある座談会でその女性は力強く発言しました。周囲も納得顔でうなずいています。私は少し躊躇(ちゅうちょ)しながらも言ってしまいました。「根拠は?そしてデータはありますか?」

 視線が一斉に私に向けられました。またあの人が意地悪なことを言って!

 味方がいないのでかえって闘志が湧いた私は「コンビニで握ったおにぎりではもちろんダメですか…お父さんのでは?」と続けて、場を思いっきり白けさせてしまいました。皆さ
ん。私を意地悪だと思われますか。

 お母さんの握ったおにぎり…響きの良い優しい言葉です。でも子育てってそんなに簡単でしょうか。もし子どもが少しでも横道にそれたら、母親が握ったおにぎりを食べさせなかっ
たからと言われるのでしょうか。残酷でしょ。耳に心地よい言葉に要注意です。信じて、受け入れるとなんとなく心が落ち着きます。でもそれで良いのでしょうか。

 「野菜類は皮に一番栄養があるのでむいて食べるのはもったいない」

 疑いもなくその通り、だからこそ少し気をつけましょう。皮には紫外線から害虫、細菌から野菜や果物を守る成分が集まっています。アクや渋み、苦味、辛味。植物が自身を守る成分が人間にも同じような形で役に立っていることは証明されています。昆虫や哺乳類(ほにゅうるい)に食べられないためのアクや苦味や辛みは、「忌避物質」と言われます。ほど良ければ問題なしですが、過剰になればまずくなるどころか、害にもなります。

 私もリンゴは皮のまま。最近ではモモも小さなキウイもうぶ毛を落としただけでかじります。でもピーマンは少し考えます。炒めても煮てもおいしいのですが、生では…。あのツ
ルツルした皮、これが薄い割には手ごわくて、消化が悪いのです。生に肉みそをつけてバリバリ食べた日の夜は胃が痛みました。低学年の子どもやお年寄りには負担ですよ。何につけ絶対ということはないのです。受け入れる前に自分でも調べてみましょう。

 ぴったりの本を見つけました。元村有希子さん(毎日新聞論説委員兼編集委員)の著書『カガク力を強くする!』(岩波ジュニア新書)。その中に「疑い、調べ、考え判断する力
を一人一人が身につける重要性」とありました。科学的に考えるためメッセージが満載です。

 子どもたちと一緒に、今のこの時代を賢く乗り切る力を養ってください。

福岡県PTA連合会機関誌/令和2年5月号から「サンドイッチの年/NO.97」
 この原稿を書き始めた日、新聞に新型コロナ「パンデミック」の文字が躍っていました。地震や台風などの災害に続いて今度は感染症。その後、非常事態宣言も発令されました。とんでもない時代に生まれあわせたような気もしますが、そうなのでしょうか。

 医師・奥田昌子さんの著書『日本人と病気と食の歴史』を読みました。

 日本には古代から人が暮らしていましたが、それはずっと寄生虫やさまざまな感染症との戦いであったようです。他国と人や文化の交流があるときに、そこに必ず感染症も侵入があったのです。大陸から稲作がもたらされると同時に結核が…。6世紀、広範囲には仏教の伝来と共に天然痘が持ち込まれ、つい最近まで日本人を苦しめました。ちなみに江戸時代にもインフルエンザは猛威を振るっています。1858年、日米修好通商条約と前後してコレラの上陸。決して怖がらせようとこんなことを書いているわけではありません…。こういう大変な現実の中で私たちの祖先は生き残って私たちに命をつないでいるのです。むやみに恐れるのではなく、決められたことは守り、一人一人できることはやって予防に努めましょう。

 学校に行けなかったり、行事が中止になったり、さまざま制約はありますが、心は朗らかに自由でいたいですね。少し時間ができたので、見たかった映画をDVDで観て、積んでおいた本も読もうと…。甘夏みかんが出てきたのでマーマレードもまとめて作りましょう。
 こういう時期は各国政府のリーダーシップも求められますが、私たちの生き方も問われるのです。偉そうですみません。

 時々思い出す映画のセリフがあります。1988年製作のフランス映画「サンドイッチの年」。DVD化はされていませんがYouTubeで観ることができます。戦争で両親を失い、さまざまな辛さの中で泣いている15歳の少年。いつもは頑固で皮肉屋のおじさんが声をかけます。「大人は夜中に泣いたりしないと思ってたら、それは間違いさ。涙も人を作るんだ。今年は辛いこともあったなー。サンドイッチの年さ。分厚いパンの間の薄いハムには辛子がいっぱいで涙も出るさ。それでも全部食べ尽くさなければならんのさ。次はフカフカの白いパンが待っているから。お前は大人になった」

 こういう時にこそ大人の行動を取りたいものです。この騒ぎが収まる頃、子どもたちも少しだけ大人になっているかもしれませんね。

福岡県PTA連合会機関誌/平成31年3月号から「犬どころかネズミも食わないお話/NO.96」
 季節外れの話題ですがこの原稿は1月に書いていますので・・・すみません。

 なぜか暮れから正月にかけて気分が落ち込む私。寒さのせいかとも思うのですが、そうではなさそう。はっきり言えばこの時期、夫と顔を合わせる時間が長いのです。仕事も一区切りつき、テレビも正月の特番が入って年初めまで仕事は休みです。その代わりにたまっている雑事や正月の準備やらで別の忙しさが待ち構えています。

 賀状の準備をしながらな私のその横で、お笑い番組を見て大笑いしている人がいればどんなにできた人間でもいら立つというものです。

 70歳を過ぎて毎日が日曜になった夫は、少しづつ家事を手伝ってくれるようになりましたがなぜかそれでもいら立ちは募るばかり。凝り性の夫の入れるコーヒーはカフェ並みのおいしさ。でも、たった2杯のためにヤカンになみなみのお湯を沸かすのはもったいなくはありませんか。コーヒーかすを新しいビニール袋に入れて捨てるのも何だか気になります。言葉にすれば「お前が節約を口にする資格はあるのか」と言われそうだけど、そうではなくって、でもここでエコを口にするのも大げさすぎる気がするし。

 宅配便の受け取りをして「ごくろーさま」と夫。その言葉、上から目線のように思えて使ってほしくない私。黙っていられず「ありがとうございましたが適切だと思いますが」と言ってしまう。夫は黙っているけれど「いちいちうるさいなー」と心の反撃が聞こえる。

 手やハンカチで口をふさぐことなく、咳やクシャミをする夫。しかたないから家でマスクしている私。
おさん、なぜあなたの息子に生活の基本しつけておいてくださいませんでしたかとボヤきたくもなります。暮れや休みが続く時の私の憂鬱はこんなことが原因なのです。もっとおおらかにと思わないわけではありませんが、やはり大切なことはこういう小さなところにあるような気がします。

 お父さんお母さん、どうぞ生活の中での大切なこと子どもさんに伝えてくださいね。今回は夫をずいぶん悪者にしてしまいましたが、夫からすると私は自分が女の子だったことを忘れているのではないかと思っているようで、お互いさまなのです。直した方が良いと思うことを言えるのは家族だけかもしれません。少し煙たがられても、さりげなく伝えてほしいと思います。

福岡県PTA連合会機関誌/令和2年1月号から「現在、過去、未来にありがとう/NO.95」
 今の私は、出会った方たちからいただいたさまざまな言葉でできていると思います。昔は良かった、人情があったと言う人が多いのですが、果たしてそうでしょうか。ずいぶん、ぶしつけで嫌味なことや差別的な発言をする人もいた気がします。その反面、深い言葉で生きるヒントをくださる方も、今より多くいらっしゃいました。

 少し大人になってからですが、知り合いのおじいさん(80歳を過ぎていらしたから)に言われた言葉は、少し考えさせられましたが、いつの間にか大切な言葉の一つに加わりました。

 「ちづえさん、私が育った村では、3年前にもらった大根のしっぽ一つでも、次に会った時にはお礼を言いますよ。それもていねいに。先日いただいた大根、おみそ汁に入れていただきましたら大変おいしくて家族みんなが喜びました」と。
 私はそんなめんどうなところに一日でも住めないなと思って、そのままを言葉にしたと覚えています。

 大人になるにつれ、この言葉に現実味がついて、大切なことを教えていただいたと思うようになりました。

 何かいただいたり、お世話になったり、優しい言葉や励ましの言葉をもらったらすぐに「ありがとうございます」と感謝を言葉で伝えたいです。

 実行されるかは不明の約束。「お土産買ってくるね」「次も楽しいこと誘うね」にも素直に「ありがとう」を言いましょう。約束は果たされず「ありがとうを返せ」と言いたいこともたくさんありましたけれど。

 そしておじいさんが教えてくれた、過去のいろいろも思い出してお礼をいいましょう。「いただいたお菓子はおいしくって家族で取り合いになりました」「良い方を紹介してくださって幸せです」「あの時注意してくれてありがとう」「車で送ってもらったので遅刻しませんでした」とか思い出せば限りなくありますよね。お礼を言いたい思い出がたくさんあるのは幸せな証拠です。

 私も大昔にわが家でご飯をご一緒した方から「あの時はおいしくって幸せでした」と思い出話のついでに言われたりすると、木に駆け登りたくなるくらいにうれしいのです。今おいしいと言われた時より、もっと心が温まる気がするのが不思議です。おじいさんの言葉はやはり深かった。

 現代、過去、未来・・歌の文句ではないけれど「ありがとう」を惜しまないように生きたいと思います。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年11月号から「不思議なホラ話もちゃんと聞けば/NO.94」
 「幾何学がわかれば空間が測れるようになるよ。エントロピーの法則は不可思議さが測れるよ」若い頃知り合ったおじさんはいつもこういう言葉で私を煙に巻いていました。科学的なのか非科学的なのか真実なのか嘘なのか、そういう話ばかり。でもいつも私はワクワクして次の話を待ちました。

 一番好きだったのはアインシュタインが思いっきり舌を出した有名な写真を見ながらの「彼は決してふざけているわけではなくって、宇宙と交信してるんだよ。インカの石像にもこういうのがあるだろ。あれも宇宙との交信!」その後いくら調べてもそれを裏付けるような資料は見つかりませんが・・私はほぼ信じています。

 世間には大勢の聞いたような教訓話が得意な方がいらっしゃいますが、私はその気配を感じるとダッシュで逃げ出してしまいます。

 おじさんの話は誰からも聞いたことのないものばかり。
 わたしにとってスペシャルな話は食欲をなくしそうな内容なので、ナイショにしてましたが今回特別に、です。覚悟してくださいね。

 ある日おじさんはちょっと得意顔で「あのね・・の野ぐそ糞は人の顔を見てするんだよ」私は「そんなこと死んでもしないのでご心配なく」と返しましたが、おじさんは笑いながら「コソコソしてお尻を出すと人からお尻をしっかり見られるよ。こちらが相手の目をしっかり見てたらその人もこちらの目を見るしかないから裸のお尻を見られずに済むのさ」と更に私を混乱させました。

 月日がたち大人になってやっとこの言葉の重みが少しずつですがわかったような気がしています。

 暮らしや仕事の中で格好良い自分を演じるどころか、ぶざまな自分をさらしてしまうことも常です。不本意ながらも自分の意に沿わないことにも逆らえないことだっていっぱいありました。

 そんな時にあのおじさんの言葉「野糞は人の目を見てしろ」を思い出します。「法律を犯すわけでもなく人に迷惑をかけるようなことでもないのに人より劣って見えたり、みすぼらしく自分を感じたりする時でも堂々としていなさい。オドオドと人の視線を避けるようなことをすると返って見られてしまうよ」。きっとおじさんはそう言ってくれたのだと。決して自分の得意な分野の仕事ばかりをしてきたわけではありませんが、この言葉から支えられて今までやれてこれたような気がしています。

福岡県PTA連合会機関誌/令和元年9月号から「あなたにできる親切はありませんか/NO.93」
 『なにか、わたしにできることは?』(ホセ・カンバナーリ・文、ヘスース・シスネロス・絵、寺田屋真理子訳)

 書棚から何気なく取り出したのがこの絵本でした。ずいぶん前から持っているのに開いたことのない本がたくさんあるのです。老後の楽しみに取ってありますって、もう72歳なのに・・

 あらすじは独り暮らしのおじいさんの心の中に「なにか、わたしにできることは?」という言葉が棲み着き、その言葉がいつも頭の中をくるくると回ります。

 あるときに同じアパートに住むおばあさんが「脚が痛くて階段が降りられないの。パンを買ってきて下さらない?」と。次の日は子どもが熱をだして困っているおかあさんが助けを求めます。

 すると、心の中に棲み着いた言葉が飛び出してきました「なにか、わたしにできることは?」。おじいさんはその言葉に従って行動します。

 それだけのお話ですが、私たちの心の中にもこの言葉は棲んでいますよね。テレビやラジオから風水害や地震の被害のニュースが流れる時。お友達や知り合いに悲しいことが起こった時「なにか、わたしにできることは?」。

 とは言っても、すぐに飛んで行って手伝いができるわけでもなく、お金を送ることだって難しいです。

 「なにか、わたしにできることは?」って本気で思っているのにいつもそれだけで終わってしまいます。

 このおじいさんのように身近に助けを求めている人がいれば自分の心に素直に従えればいいのですが・・

 そのかわりになるかわかりませんけれど私は料理研究家なので、季節ごとの果物でジャムを作ります。今ならイチジクでしょうか。

 イチジク1キロの皮を剥いたらザクザクと切って鍋に入れ、30%か40%(300g〜400g)の砂糖をまぶして少し置いて、水分が滲み出たら中火にかけ、透明になるまで煮ます。そこへ一個分のレモンの絞り汁を入れて出来上がり。熱湯で消毒した瓶に詰めておきます。

 少し元気のないお友だち、ご無沙汰をしてしまっている方、なんだか少し気になる人・・心の向くままに手渡します。「とても落ち込んでいたけれど元気になった」なんてうれしい言葉が返ってきて、こちらの気持ちもハッピーになるのです。

 どんな形ででも小さな親切や思いやりが表現できると、自分が困った時に他人の親切を素直に受け取ることができるようになるのが不思議なのです。